以下、ダイヤモンドオンラインから引用。
「内閣府が行った『我が国と諸外国の若者の意識に関する調査』(2018年)によると、 『自分に満足している』と答えた若者は、欧米諸国が8割だったのに対し、日本の若者は4割強しかいない。」
なぜ、諸外国と比べて、日本人は自己肯定感が低いのだろうか?
一方、日本人は、協調性があり、尚且つ、勤勉で、誠実だというイメージもある。
日本人全員が、などということはあり得ないが、諸外国と比較すると、公共でのマナーが守られていたり、接客態度が丁寧であったり、というのは、事実であろう。
しかし、自己肯定感が低い。若者の自殺者数も増えている。
日本の社会が抱える、病気とも言えるだろう。
一体、その理由は、何なのか?
紳士淑女の皆さんの、忌憚のないご意見、一言二言でも、お伺いしたい。
民族的な要因と教育の問題
個人的には、自殺は自己肯定感というよりも、何かの原因から、
1. 逃げられることを知らない
2. 逃してもらう手段をとれない
3. そもそも逃げる発想にならない
などの理由で自死を選ぶのではないかと思います。
真に自由な状態で選ぶなら、自殺は全然OKだとも考えています。
いじめなどもなく、病気などもなく、社会のこともだいたいわかっていて、本当に自由な状態で
「やれやれ、本当にくだらねえ世界だ。とっとと死後の世界に行くわ」と死んでいくなら健全な安楽死、尊厳死だと考えます。
いじめなどは、自分で死ぬことを選ぶものの、社会や環境によって選ばされている点では他殺だとさえ思うので。
家族からの愛情不足や虐待があっても自己肯定感は養われないだろうとも思います。
そういう意味では、同じ自殺でも、イスラム過激派の自爆テロ……
「自分は神の教えを守って社会を変えたんだ。後は天国で幸せになる」と信じて死んでいく彼らの方がよっぽど健全だとさえ感じますね。テロはよくないし賛否両論あるだろうけども。
昔は自己肯定感などという思想より先に、身分という自己を肯定するものさしがはっきりあったので、それによる自殺は多かったと思います。
たとえば、江戸時代は身分差による成就しない恋愛によって自殺したカップルが多発したのだとか……
鎌倉時代などは学校の歴史で習う華やかな文化は、ほぼ上流階級のことだろうし、市民は飢餓や病で多くが死んでいます。
過去は過去で、現代の日本では考えられないような社会の仕組みによる影響での自殺はけっこうあったんだと思います。
昔は、いじめられても主犯格を殺したり違う村に旅に出たりとかできただろうし。変に市民から刀を取り上げ自力救済を禁じたものの国が十分に機能していない社会も、自殺は増えそうだと感じます。
そういう、「出る杭は打たれる」という日本独特の考え方が、教育の現場においても、反映されてしまっている、と。
それも同感です。日本は、髪型や髪色、下着の色、服装、アクセサリーなど、校則が細かいことで知られています。
これも個性を認めない、画一的な教育の一例と言えるのではないでしょうか。
ところで、一つ疑問なのですが、民族にしろ、教育にしろ、自己肯定感の低さの要因が、それらにあるのだとしたら、日本人の自己肯定感の低さは、古来より持った性質である、ということになるのでしょうか?
私の考えでは、自己肯定感の低さは、自殺者数の増加が著しい、昨今において、目立ち始めた問題であるように思い、明治大正、あるいは、江戸時代、さらに遡って、室町時代、鎌倉時代の人々が、現代人と同じ自己肯定感レベルだったのか、と問われれば、それは怪しいように思うんです。
さとれうす氏は、この点について、どのように思われるでしょうか?
なるほど。
日本人の自己肯定感の低さの要因には、「民族」と「教育」があるということですね。
民族においては、助け合ったり支え合ったりして乗り越えてきた、という性質が、裏目に出ている、と。
「まわりに合わせること、まわりと同じであること(=群れからはみ出ないこと)」が、重視されてしまっている、という指摘は、まさにその通りだと思いました。
私は、この点においては、日本人の多くが、古来より「ムラ社会」で生活を営んできたからだ、と思っています。
協調性がある反面、マイノリティに対しては、ひどく排他的になる。
それは、西洋発祥の「個人には尊厳がある」という人権意識が、そもそも、希薄だからでしょう。しかし、その価値観を持たずして、自己肯定感を持つことは、難しい。なぜなら、個人の尊厳という意識がなければ、自分のパーソナリティにも、他人のパーソナリティに対しても、尊厳を感じることができないから。
(すみません、タイトルが二重に投稿されてます)
教育面でも、親や学校から自分を評価する指針・基準、成長のしかた、ものごとの考え方、そういったスキルを学ばない。
「他人を尊重しましょう。他人を大切にしましょう」と言葉で教育を受けるが、「自分を尊重する方法」「自分を大切にする方法」は誰も教えてくれない。
他人と競争させられるが、自分と競争して勝つ方法も教えてくれない。
今でこそ俺は自己肯定感MAXの人間だけど10代の頃は自己肯定感は低かった。
成長期は向上心が高いので誰もが自分に満足しないとは思うが、やはり日本の10代若者は「まわりと比べて満足しない」という心理だと思う。
「もっと自分を成長させたい。今の自分はまだまだだ」といったポジティブな意味の不満ではない。
長くなるのもアレなので←、ざっくりまとめてしまうと、先述したとおり、
① 民族的な生存戦略としてまわりと比べたり合わせたりする性質が本能的に強い
② 個人主義思想、自分の評価のしかたをはじめ自分を愛する術をどこからも学べない
などの民族的、教育的な要因によって自己肯定感が低いのだと思う。
要因になっているだろうと思うので少しだけ意見を述べたい。
まず、日本は島国。古くから四季があり地震・火山の噴火などの災害も多発する。海に囲まれ逃げ場がない。まわりと協力しなければ生存が難しい環境下で長く繁栄してきた文明、国家といえる。
海外に比べ災害時にも強奪事件などはあまり起きず、日本人は助け合ったり支え合ったりして乗り越えることは世界的にも評価が高い。
まわりに合わせること、まわりと同じであること(=群れからはみ出ないこと)、は日本人にとって生き抜くための生存戦略であって最も重要なことだと本能的に察知しているのだと思う。
だから、まわりと違うことをおそれ、まわりからの評価をとても気にする。
そんな民族性なので、出る杭は打たれる。
悪く言えば、7割がイエスなら自分もイエスという右向け右の全体主義傾向が強い。
子どもの頃から学校でも、多数決などの数の多さに正当性を求める教育や、まわりに合わせましょうという協調性を重視した教育を受けて育つし。
常にまわりと自分を意識したり比べたりして生きるとなると、自分に自信が持てなくなるのは当然の結果のように思う。
民族的な要因と教育の問題
自己防衛策、反撃方法の不知
ネット上で自信がないアピールを本当によく見かけた。たとえば、プロフィールには「自分、ダメ人間なんで」みたいな自ら評価を落とす書き方をしている。
自分はあなたより優れていませんよとアピールすることで「出る杭」にならないことで、からかいや誹謗中傷などから身を守っているつもりなのかもしれない。
そう思う最大の原因は、大人達にある。もし、そうなったときに大人に頼れば守ってもらえるという安心感があれば、誰もが安心して自己アピールするはずだ。
10代若者は法律なんて知らないし、攻撃されたときに反撃する術を持っていない。
肝心の大人に頼っても親も教師も頼りにならないのでは、攻撃されないようにふるまうしかなくなってしまう。
そうした場合、現実は弁護士さえ法律を使いこなせていないので、頼りにならない。
もし、他人から攻撃されたとしてもやり返す術を知っていて実効性があるならば、ネット上のプロフィールにわざわざ自分を卑下するような文章は書かないのではないかと思う。
つまり、大人(=社会)が子ども・若者を守れていないことも、彼らの自己肯定感の向上をはばんでいる最大の原因に違いない。
個人的には、自殺は自己肯定感というよりも、何かの原因から、
1. 逃げられることを知らない
2. 逃してもらう手段をとれない
3. そもそも逃げる発想にならない
などの理由で自死を選ぶのではないかと思います。
真に自由な状態で選ぶなら、自殺は全然OKだとも考えています。
いじめなどもなく、病気などもなく、社会のこともだいたいわかっていて、本当に自由な状態で
「やれやれ、本当にくだらねえ世界だ。とっとと死後の世界に行くわ」と死んでいくなら健全な安楽死、尊厳死だと考えます。
いじめなどは、自分で死ぬことを選ぶものの、社会や環境によって選ばされている点では他殺だとさえ思うので。
家族からの愛情不足や虐待があっても自己肯定感は養われないだろうとも思います。
そういう意味では、同じ自殺でも、イスラム過激派の自爆テロ……
「自分は神の教えを守って社会を変えたんだ。後は天国で幸せになる」と信じて死んでいく彼らの方がよっぽど健全だとさえ感じますね。テロはよくないし賛否両論あるだろうけども。
昔は自己肯定感などという思想より先に、身分という自己を肯定するものさしがはっきりあったので、それによる自殺は多かったと思います。
たとえば、江戸時代は身分差による成就しない恋愛によって自殺したカップルが多発したのだとか……
鎌倉時代などは学校の歴史で習う華やかな文化は、ほぼ上流階級のことだろうし、市民は飢餓や病で多くが死んでいます。
過去は過去で、現代の日本では考えられないような社会の仕組みによる影響での自殺はけっこうあったんだと思います。
昔は、いじめられても主犯格を殺したり違う村に旅に出たりとかできただろうし。変に市民から刀を取り上げ自力救済を禁じたものの国が十分に機能していない社会も、自殺は増えそうだと感じます。
そういう、「出る杭は打たれる」という日本独特の考え方が、教育の現場においても、反映されてしまっている、と。
それも同感です。日本は、髪型や髪色、下着の色、服装、アクセサリーなど、校則が細かいことで知られています。
これも個性を認めない、画一的な教育の一例と言えるのではないでしょうか。
ところで、一つ疑問なのですが、民族にしろ、教育にしろ、自己肯定感の低さの要因が、それらにあるのだとしたら、日本人の自己肯定感の低さは、古来より持った性質である、ということになるのでしょうか?
私の考えでは、自己肯定感の低さは、自殺者数の増加が著しい、昨今において、目立ち始めた問題であるように思い、明治大正、あるいは、江戸時代、さらに遡って、室町時代、鎌倉時代の人々が、現代人と同じ自己肯定感レベルだったのか、と問われれば、それは怪しいように思うんです。
さとれうす氏は、この点について、どのように思われるでしょうか?
なるほど。
日本人の自己肯定感の低さの要因には、「民族」と「教育」があるということですね。
民族においては、助け合ったり支え合ったりして乗り越えてきた、という性質が、裏目に出ている、と。
「まわりに合わせること、まわりと同じであること(=群れからはみ出ないこと)」が、重視されてしまっている、という指摘は、まさにその通りだと思いました。
私は、この点においては、日本人の多くが、古来より「ムラ社会」で生活を営んできたからだ、と思っています。
協調性がある反面、マイノリティに対しては、ひどく排他的になる。
それは、西洋発祥の「個人には尊厳がある」という人権意識が、そもそも、希薄だからでしょう。しかし、その価値観を持たずして、自己肯定感を持つことは、難しい。なぜなら、個人の尊厳という意識がなければ、自分のパーソナリティにも、他人のパーソナリティに対しても、尊厳を感じることができないから。
ネット上で自信がないアピールを本当によく見かけた。たとえば、プロフィールには「自分、ダメ人間なんで」みたいな自ら評価を落とす書き方をしている。
自分はあなたより優れていませんよとアピールすることで「出る杭」にならないことで、からかいや誹謗中傷などから身を守っているつもりなのかもしれない。
そう思う最大の原因は、大人達にある。もし、そうなったときに大人に頼れば守ってもらえるという安心感があれば、誰もが安心して自己アピールするはずだ。
10代若者は法律なんて知らないし、攻撃されたときに反撃する術を持っていない。
肝心の大人に頼っても親も教師も頼りにならないのでは、攻撃されないようにふるまうしかなくなってしまう。
そうした場合、現実は弁護士さえ法律を使いこなせていないので、頼りにならない。
もし、他人から攻撃されたとしてもやり返す術を知っていて実効性があるならば、ネット上のプロフィールにわざわざ自分を卑下するような文章は書かないのではないかと思う。
つまり、大人(=社会)が子ども・若者を守れていないことも、彼らの自己肯定感の向上をはばんでいる最大の原因に違いない。
自己防衛策、反撃方法の不知
(すみません、タイトルが二重に投稿されてます)
教育面でも、親や学校から自分を評価する指針・基準、成長のしかた、ものごとの考え方、そういったスキルを学ばない。
「他人を尊重しましょう。他人を大切にしましょう」と言葉で教育を受けるが、「自分を尊重する方法」「自分を大切にする方法」は誰も教えてくれない。
他人と競争させられるが、自分と競争して勝つ方法も教えてくれない。
今でこそ俺は自己肯定感MAXの人間だけど10代の頃は自己肯定感は低かった。
成長期は向上心が高いので誰もが自分に満足しないとは思うが、やはり日本の10代若者は「まわりと比べて満足しない」という心理だと思う。
「もっと自分を成長させたい。今の自分はまだまだだ」といったポジティブな意味の不満ではない。
長くなるのもアレなので←、ざっくりまとめてしまうと、先述したとおり、
① 民族的な生存戦略としてまわりと比べたり合わせたりする性質が本能的に強い
② 個人主義思想、自分の評価のしかたをはじめ自分を愛する術をどこからも学べない
などの民族的、教育的な要因によって自己肯定感が低いのだと思う。
要因になっているだろうと思うので少しだけ意見を述べたい。
まず、日本は島国。古くから四季があり地震・火山の噴火などの災害も多発する。海に囲まれ逃げ場がない。まわりと協力しなければ生存が難しい環境下で長く繁栄してきた文明、国家といえる。
海外に比べ災害時にも強奪事件などはあまり起きず、日本人は助け合ったり支え合ったりして乗り越えることは世界的にも評価が高い。
まわりに合わせること、まわりと同じであること(=群れからはみ出ないこと)、は日本人にとって生き抜くための生存戦略であって最も重要なことだと本能的に察知しているのだと思う。
だから、まわりと違うことをおそれ、まわりからの評価をとても気にする。
そんな民族性なので、出る杭は打たれる。
悪く言えば、7割がイエスなら自分もイエスという右向け右の全体主義傾向が強い。
子どもの頃から学校でも、多数決などの数の多さに正当性を求める教育や、まわりに合わせましょうという協調性を重視した教育を受けて育つし。
常にまわりと自分を意識したり比べたりして生きるとなると、自分に自信が持てなくなるのは当然の結果のように思う。
民族的な要因と教育の問題
民族的な要因と教育の問題